小説 多田先生反省記

 6.帰京

学会は土曜日と日曜日の二日間だけの開催だったが、月曜日と水曜日の授業を休講にして暫く東京で骨休めをして木曜日に福岡に舞い戻ってきた。赴任一年目の当時、勤めていたのは城南学院大学だけだった。担当する授業は週に5コマで、単純計算だと週に500分、8時間あまりの勤務である。それが3日に振り分けられているところから大野曰く私は「一週を3日で暮らすいい男」という暮らし向きだった。大学の規程によれば「講義のある時間帯は教室にて講義すべし」となっている。面白くもない議論が延々と続く定例会議も折々開かれるが、ノホホンとしていればよく、それ以外に身柄が拘束されることはない。種々委員会はあるが、新参者の私はどの委員会にも属していない。従ってぼうっとして花の夕顔の黄昏時を待つだけの研究室にいなくとも学長に叱れられるといった気遣いは全くないから気楽なものである。出勤簿はもちろんない。何とも鷹揚な職務の有り様だった。学会も済んで藤田、檜山の両人とは新宿で落ち合い、酒を酌み交わした。開口一番、檜山がこう云った。

「お前、暫く帰ってこないって云ってたのに、随分早々と帰ってきたな。やっぱ、田舎の先生はもう飽きたか?」

「そう田舎の先生って云うなって。福岡は城下町だけどお城はもうないんだよな」藤田が救ってくれた。

「そう、福岡城は舞鶴城とも云ってな、黒田長政が筑前福岡藩52万3千石の最初の藩主なんだ」

「檜山はお城のこととなると一言居士だからな。その黒田長政はあの関ヶ原の合戦でものすごい手柄たてたろ。それで家康がさ、知ってるか、長政の手をとって大いに喜んだって話。続きがあるんだぜ。長政が親父さんの黒田如水に斯く斯く然々と話したら、『その時、左手は何としていた!』って怒られたんだ」私は大野から聞いた逸話を熱く語り始めた。

「何故にその時、左手に短刀を持って家康を刺さなかった!その話だろ。誰だって知ってるよ」檜山も頷いた。

「そうか」私は気を取り直して続けた。「近代では中野正剛も福岡の出身なんだ。昔の藩校の東学問所修猷館、今は県立の修猷館高校になってるけど、あそこの卒業生だったんだな。城跡の近くに銅像が建っていてさ、俺、見てきたよ」大森から聞いた記憶の糸を辿りながら話を近代に移した。しかし、これも檜山に追随されてしまう。

「ああ、緒方竹虎と一緒に早稲田に進んで、戦争中に東条に反発して憲兵隊に捕まって、割腹自殺した中野正剛だろ!」

「でも、それにしても福岡ってどうしたって田舎だよ。路面電車が走ってるんだぜ」私は話題を転じた。檜山がすかさず云った。

「やっぱ、田舎の先生だ」

「市電かよ?」と藤田。東京では都電はまるで昭和レトロのように早稲田と王子の間の線が一本走っているだけだ。

「市電じゃなくてさ、ほら、野球のライオンズ。西鉄よ。あれがチンチンとはいわなくてもよ、ゴトゴトって動いてんだ」東京では都電はチンチン電車とも呼ばれていた。

「学生はどうだ?」

「可愛い子もいるよ。お人形みたいな顔した女の子。そいでさ、授業中じーっと俺の顔見つめるんだ。俺に気があんのかなって思ってヨ」

「逆上(のぼせ)んじゃねーよ!」今度は檜山がそう云った。

「で、妹に話したわけ。俺らはずっと男子校だったろ。女子学生の仕種って全然わかんないからな。そしたら何てことないんだ。女の子って授業中は先生の顔を見るもんなんだって。ガックリきたよ。魚は旨いよ。何たって玄海灘の獲れたてのやつを捌くわけだからな。東京のハマチなんて食えたもんじゃないね。俺はいいからお前たち食えよ」

「下宿の未亡人はどうだった?」藤田もそろそろ酔ってきたようだ。

「そうそう。あとから気が付いたんだけどさ、下宿のおばさんの名前。伊予の伊に都で、伊都子ってなってたんだ。これがお笑い草よ。…話す前から笑うなよ。でもって、九州邪馬台国論者は福岡と佐賀県の唐津の中間あたりに伊都国があったって云ってるだろ」これも大野からの受け売りであるが、詳しい歴史の話は殆ど忘れてしまったので端折った。「それが今の糸島郡、マエバル、前の原って書くんだけどさ。九州に行くと原はバルってなる所が多いんだ」前置きが長くなった。二人はニヤニヤしながら聞いている。「この伊都国よ。婆さんはイトさんってこと」

「なんだ、婆さんだったのか」藤田が噴き出した。

「それを伊都国にあやかって当て字にしたみたいでさ。これに気が付かなかったてわけ、俺は」

「とすると、本物の婆さんみたいだな」檜山が気の毒そうに云って杯に酒を注いだ。

「最初の晩に会ったときニンニクを突き出そうかと思ったよ。和製ドラキュラみたいな顔なんだ、この婆さん」

二人は笑いこけた。

「高校のときの中川先生はどうしてる?」

「檜山も中川先生にはよく怒られたもんな。相変わらずおっかねぇよ。今、週に一回、二人で読書会やってんだけどさ、前と全然変わってない、これが。訳を間違えりゃ、目の端っこの方をぴくぴくさせて、『いや、そうじゃないだろう!どうしてそんな訳になるわけ?』ってね。うまく訳せたらさ、黙ってりゃいいものを『それで、その意味は?』って絡んでくるんだ。さすがに俺もムッときてさ、辞書に載ってる意味を云ったわけ。そしたら『訳じゃなくて意味!』ってな。俺、また学生に戻ったよ。それもさ、一対一だろ、たまんないよ。あの人さ、剣道の達人だってこと知ってたか。剣道部の部長やってて、酒もめっぽう強いんだ。一度、家に呼ばれていったんだけど、ひでぇ目にあったよ。うん。ウイスキーをね、コップにどばどばって注いで、『さあ、呑め!』って云われてさ。奥さんが『氷、差し上げましょうか?』なんて云ってくれたんだけど、中川先生は『駄目、ストレートを飲めないようじゃ男じゃあない!』なんて云われて、俺も自棄になって呑んだけど、どうやって下宿に帰ってきたか分かんないくらい、へべれけに酔っぱらっちゃった」

「そうか、中川先生は剣道家だったのか。あの図体のでかいドイツ語の篠栗先生はどうしてる?確か九州大学に行ったんだよな、俺たちが中学3年の時」

「檜山は篠栗先生嫌いだったな。そう、挨拶しなきゃいけないって思ってたんだけどさ、なかなか会えなくて。今度の学会でやっと挨拶したらさ、『俺の方から挨拶に行かなきゃいけないのかと思ってたよ』なんて皮肉云われちゃった。右を向いても左を見ても昔の先生がいるからおちおちしてらんねぇよ。話は違うけどさ、所変われば品変わるって云うだろ、さっきも云った通り、九州じゃな、『原』をバルって読むんだぜ。春日の原はカスガバルだしさ。前の原は…」

「マエバルか?」

「そうなんだよ、藤田。でもね、俺の学生が住んでる所は原の団地だけどハラダンチなんだな、不思議なことに」

「別に不思議じゃねぇだろ。単一で使われるときにはハラで、云ってみりゃ、複合語で語末にある時にはバルになるってことだよ」

「でも、熊本の田原坂は語末じゃないぜ」

「ああ、あの西南の役の田原坂のことか?そうだな、藤田、どうする?」

「あれは一の坂、二の坂、三の坂の田原坂だろ。ほら、ということは云ってみりゃ複合語の語末になるだろうが」

「なるほど!」日本語学を専門としている藤田の説明で私は何となく納得した。

「感心してる場合じゃねぇよ。お前も言語学者なんだろ。そのくらい判るだろう。だらしねぇな」檜山が云った。

「いや、俺はドイツ語学者!そうそう、言語学者で思い出したんだけど、学生がね、『先生、言語学者でしょ』って云うわけ。その時はうっかり、『そうだよ』って云ったら『博多の大きな祭りに博多どんたくってあるけど語源を教えてください』なんて生意気なことを云うんだ。これはね、福岡に行く前に先輩から教わっていたからさ、偉そうな顔して講釈してやったよ。お前ら知ってる?そうか、知らないよな。5月になるとね、街中をあげてお祭りをするんだ。下宿の婆さんも毎年出てるって云ってたけど。このドンタクの語源はオランダ語なんだよ。ドイツ語だと日曜日はゾンタークだろ、綴りは違うけどオランダ語じゃ休日のことをゾンターハって云うんだ。この祭りは800年くらい前の正月の博多松囃子(まつばやし)がもともとの起こりだったらしいけど、明治の頃に一時禁止されていて、また復活するのに明治政府が政府指定の祝日のことをゾンターハっていうこのオランダ語を使ったらしいんだな。オランダ語じゃゾンターハだけどさ、江戸の頃のオランダ人て、どうやらドイツ人でさ、ドイツ語の発音そのものだったわけよ。その辺りのことを講釈したんだ、言語学者として」

「威張ってやがる。でも、何でゾンタークがドンタクになるんだ?」檜山が聞いた。

「そりゃ、訛ったんだろう」授業でもこんな風に誤魔化しておいた。

「ドイツ語学者の多田先生!やっぱ、デル、デス、デム、デンなんて教えてんのか?」

「そうだよ。これは男性名詞の定冠詞の格変化であって、夫婦喧嘩の文句ではない!しかるにデスは二格であって、大阪の笑福亭仁鶴とは全く縁はない、なんてね」

「あの格変化には泣かされたな。それにしてもお前のそんな駄洒落で学生ついてくるのか?」非常勤ながらも矢張り大学で教鞭をとっている藤田は興味が湧いてきたようだった。

「たまには真面目にやるよ。それがね、隣の教室で中川先生が俺の授業聞いてたみたいなんだ。授業が終わってからさ、『多田君』、家に飲みに行ってからは気安い話し方してくれるようになったんだけどね、『僕たちは言語学を教えてるんじゃないんだ。語を教えてるんだ』って云うんだな。でもドイツ語ときたら特に文法をきっちりやってないと分かんないだろ。藤田、お前だって一緒に神田外語でお前の叔父さんみたいな名前の藤田四郎先生に文法を教わったから分かるだろ。俺はあの百何ページもある文法書で勉強してやっとドイツ語が判るようになったんだからさ。学生にもよく云うんだ。ドイツ語は最初は難かしいけど、後で楽になるから今はしっかり規則を覚えろってね。それで、男性名詞、女性名詞、中性名詞。人称変化はエストテンテンテンだってな」

「なんだ、そのスッテンテンてぇ、転びそうなのは?聞いたことねぇぞ」

「檜山は俺と違って最後の最後まで碌すっぽ勉強しなかったから分んないだろうけどさ、人称変化の語尾よ。単数の一人称、二人称、三人称それから複数って行くとね、尻尾のところがe,st,t,en,t,enってなるわけ」

東京で学会に顔を出し、中学校の恩師で、大学院の先輩筋の篠栗と顔を会わせて、ひたすら非礼を詫び、檜山、藤田の両人と酒を酌み交わし、私は再び福岡にてエストテンテンテンの続きを始めた。

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